東京高等裁判所 昭和58年(う)189号 判決
① 自白によれば,被告人が,原判示のような経過で布団から這い出したふさゑの両足を掴んで引張った際,同女の着用していたズボン(当庁昭和58年押第60号の七)が足首付近までずり下がったが,同女を殺害後,その死体を搬出しようとして抱き上げたところ,同女の尻の辺りに触れた右腕が同女の失禁した尿で濡れて気持が悪かったので,一旦その死体を布団の南側に下ろし,まず,ズボンを脱がせ,ズボン下とパンツを一緒に脱がせて部屋の西隅に置いた後,ずり下がっていたため濡れていなかったズボンを元どおり履かせたというのである。
② 原判決は,捜査官は,右自白に基づき,昭和55年11月8日「被害者の下着等の任意提出を受け,そのうち肌色ズボン下と白色パンツ各1点(同号の46)について,同月10日山梨県警察本部長に鑑定を嘱託したところ,同月27日付でいずれにも尿の付着が認められる旨の回答があった」旨認定し,被告人の自白内容が客観的事実と符合することの一つの例証としている(原判決理由二の(四)の3の(3)の(ロ))。
③ これに対し,論旨は,<イ>右鑑定を実施した証人橋本幸紀は原審第7回供述において,右鑑定物件に尿が付着していたと「断定は出来ないですが,可能性は大であると考えます」(記録第9冊382丁の297裏)と供述するに止まること,<ロ>被害者方母屋1,2階の畳につき尿斑検査を実施したが,全く反応が見られなかったこと(司法警察員作成の昭和55年11月8日付検証調書,甲43,記録第3冊381丁の194,同56年7月23日付捜査報告書,甲247,記録第6冊381丁の1,171)を根拠として,本件殺害の時点で被害者が尿を失禁した事実は認められないと主張し,むしろ被告人の自白内容が客観的事実と相反し,信用性を有しないことの証左であるとするものである。なお,被告人は,任意提出にかかる被害者の下着類を入れた数個のビニール袋の中から,前記鑑定物件を特定して指示し,その様子を写真撮影された際(司法警察員作成の昭和55年11月10日付写真撮影報告書,甲244,記録第6冊381丁の1153),どれか分からないと答えると,功刀刑事らから「馬鹿野郎,嘘をつけ。これだろう,これに決まっているじゃんかあ」と罵倒され,ビニール袋入りの下着を顔に押し当てられ,脇腹や背中を足蹴にされたと主張するが(被趣第二点),本件ズボン下及びパンツは2枚が重ねられ,その左脚の部分だけが裏返しにされている状況に照らし,被害者が生前着用していたものであることが充分肯認できるから,所論暴行の有無は別論として,敢えて被告人の指示をまつまでもなく,鑑定物件の特定には問題がないものというべきである。
④ そこで,まず,所論<イ>の点から検討する。山梨県警察本部長作成の昭和55年11月27日付鑑定結果回答書(甲243,記録第6冊381丁の1148),証人橋本幸紀の原審第7回供述(同第9冊382丁の291以下),同山田雄次の当審第2回供述によれば,本件鑑定物件である前記ズボン下及びパンツに対し,ウレアーゼ酵素とプロムチモールブルー(BTB)指示薬による尿斑検査を実施したところ,各物件の股間部前面,後面に陽性の呈色反応が認められたこと,ウレアーゼ酵素は資料中に尿素が含まれている場合これに特異的に作用してアンモニアと炭酸ガスに分解するが,そこにBTB指示薬を噴霧するとアルカリ性のアンモニアと反応して濃い青色に呈色する(酸性の場合は黄色に呈色する)こと,尿斑検査を実施する場合には,資料にウレアーゼ酵素を噴霧する前にBTB指示薬を少量噴霧して,資料中に他のアルカリ物質の存在しないことをあらかじめ確認しておくこと,尿素は人尿以外に人の汗の中にも含まれているが,少量であって,ウレアーゼ・BTB検査によって明るい空色を呈するところ,本件資料の場合には濃い青色を呈したことがそれぞれ認められる。そして,人尿であることを確定的に検査するためには抗人尿蛋白血清が必要であるが,山梨県警にはその用意がないので実施できなかったというのである。以上によれば,たしかにウレアーゼ・BTB検査によっては,資料中に人尿の存在することを化学的に確定するには至らないといわざるを得ないけれども,あらかじめ資料中にアルカリ性物質の存在しないことを確かめたうえで尿素に特異的に作用してアンモニアを発生させるウレアーゼ酵素を噴霧し,その結果BTB指示薬によってアルカリ性の呈色反応を生ずれば,資料中に尿素の存在したことを強く推認できるし,また,呈色の程度によって,その尿素が汗の中に含まれているものとは量的に異ることを識別できれば,右呈色反応は人尿の存在したことを示すものと考えられる。さらに,橋本,山田両証人は,右ウレアーゼ・BTB検査の結果だけでなく,ズボン下,パンツとも強い尿臭があり,パンツの前面,後面には汚れた黄色ないし茶褐色の地図状の汚斑のあることを現認しており,これらの事実をも併せて尿斑の存在を肯定しているのである。そうだとすれば,厳密な化学的確定とは別個に裁判上の証明としては,本件各鑑定物件に尿斑の存在したことが,合理的な疑いを容れない程度に立証されたものということができる。
⑤ 次に,所論<ロ>,すなわち,本件犯行現場及びその周辺の畳などから,尿反応が認められなかったとの点について検討する。所論は,この点を,被害者が尿を失禁した事実のなかったこと,従って,被害者の失禁した尿で腕が漏れて気持悪かったのでズボン下やパンツを脱がした旨の被告人の自白に信用性がないことの論拠とするかの如くである。しかしながら,前示のとおり,被害者が尿を失禁した事実は,前記ズボン下及びパンツの検査結果によってその証明が充分であると認められ,また,発掘されたふさゑの死体はズボン下及びパンツを着用しておらず,これらは被害者方母屋2階西側8畳間から発見されているのであるから,同所付近の畳などから尿反応が認められなかったといって,被害者が尿を失禁していた事実や被害者のズボン下やパンツが脱がされていた事実そのものがなかったものとして,これらの点に関する被告人の自白の信用性を疑うに由ないものといわざるを得ない。むしろ,被害者は被害当時かなりの量の尿を失禁しており,パンツ及びズボン下を通して被告人の腕が漏れる程度であったという事実を前提として考察すれば,所論の観点とは異なり,同所付近の畳などから尿反応の検出されなかった事実は,同所が犯行現場であるという点に関する被告人の自白の信用性を吟味する必要のあることを示唆するものというべきである。
仮りに,右程度の尿の失禁があった場合には同所付近の畳に相当量の尿が付着し,後日の検査に際し必ず尿反応が陽性となるべきものとすれば,これが陰性であった事実は,直ちに同所が犯行現場であるとの自白の信用性を疑わせ,ひいては,そのことを前提に成り立っている犯行全体の構図が覆えることとならざるを得ない。しかし,右の仮定は必ずしもつねに成立するものとはいい切れず,具体的状況の如何により,畳に尿が付着することもあり得るし,そうでない場合もあり得るというほかない。
被告人は,当初,被害者を殺害直後,被害者の頭の右側に立ったところ,「畳に流れるように尻の部分がおばさんの小便でぬれておりました」と述べていたのであるが(司法警察員に対する昭和55年11月8日付供述調書第3項末段,乙6,記録第8冊381丁の1517裏),その後,殺害直後に立ち上っておばさんを見たときには小便のことは全然気付いていなかったので前の供述は削って下さいと申し立て,失禁に気付いたのは死体を搬出しようとして腕に抱き上げたときである旨供述を変更している(司法警察員に対する同月11日付第1回供述調書第4項,第7項,乙9,同1537裏ないし1538同1542)。その後は,訂正後の供述で一貫しているので,尿が畳の上に流れるような状況はなかったものと認められる。従って,尿が畳に付着する可能性としては,殺害直後死体が畳の上に横たわっていたとき及び一旦抱き上げた死体を下ろしてズボン下等を脱がせたときに,ズボン下から浸み出して畳に吸収される場合を考えれば足りる。ところで,証人橋本幸紀,同山田雄次の当審第5回供述及び両名作成の昭和58年12月20日付鑑定書によれば,パンツとズボン下を着用させたダミーの股間部に人尿を注入して畳の上に横臥させた実験では,尿量20ミリリットル,同30ミリリットルのときは畳の上に尿反応を検出せず,尿量40ミリリットル,同50ミリリットルのときこれを検出するという結果が示されている。また,鑑定人石山昱夫の当審第6回供述によっても,頸部絞扼による死亡時には失禁の起きる場合と起こらない場合とがあり,失禁量も区々であって一定しないものと認めざるを得ない。これらを総合すれば,結局,扼殺により尿の失禁を生じた場合であっても,失禁量は区々であり,その量の如何によっては畳の上から尿反応を検出できることもあるし,そうでないこともあるということになる。そうだとすれば,本件現場付近の畳などから尿反応の見られなかった事実は,いまだ被告人の自白の信用性を疑うべき根拠とはなし難い。